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第1弾・絵画作品   呱呱 (ここ)
第2弾・写真作品   日本のこころ<時空>その二
第3弾・水彩画作品   伊根の鼓動
Newマーク004.png第4弾・版画作品   桜の記憶

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作者のことば

浮世絵版楓画の世界では「右から左に」というコトは基本的にあり得ない。
必ず、彫師、摺師の解釈が介入するのである。
イイ例が北斎の浮世絵版画であろう。

(フジワラヨウコウ・ブログ「夢幻空想綺界画帖異録」から)

今回、我々は「21世紀に向けた印刷出版文化の再評価と、未来への展開」を主旨として、この作品を制作した。特に、アート印刷工芸社さんは、会社一丸となってボクのデータを「印刷じゃないと真価が発揮できないモノ」として、試行錯誤をいただいた。最終的にはこのような形になったのだが、アート印刷工芸社さんは、この最終型に至るまでに、途方もない努力を惜しまずに尽力してくださった。ボクが見た限りでは、5~7種類ぐらいの印刷をしてくださったのだが、ボクが見ていないモノも多数存在する。

このプロジェクトは、従来の印刷とは異なるアプローチで行われている。従来の印刷は、「再現性と、限られた時間内に納入する」というのが現状である。何度もブログで言及しているが、これは大量生産大量消費という「経済効果」をベースに生まれてた工業手法である。だが、印刷物には印刷物にしかない魅力もある。決してモニターで見るモノが全てではないのだ。

これまた、このブログで何度も言及しているように、印刷という極めて繊細であり、印刷でないとできない表現というのが実在する。江戸期の浮世絵版画が、その最たるモノであろう。浮世絵版画の世界では「右から左に」というコトは基本的にあり得ない。必ず、彫師、摺師が介入するのである。イイ例が北斎の浮世絵版画であろう。

北斎の肉筆画をご覧になったことがある人なら分かると思うのだが、北斎の肉筆画は、独特のけばけばしさと下品さ、粗野さがある。だが、彫師、摺師が介入することによって、あの洗練された美しい線が生まれるのだ。なぜこうしたことが許されたのか? 答えは簡単である。北斎の版下絵に対する深い理解と、より良い"アガリ"を彼らが考えるからであり、それを北斎が認めていたという事実である。言い方を変えれば、浮世絵版画は、文字通りのチーム作業で、互いのコミュニケーションを通じて、より優れた印刷物を生み出そうとした土壌が、浮世絵版画という世界に、類を見ない印刷物を日本から生み出した。

DTPが普及してから、印刷現場におけるこのような考え方は急速に消え去っていた。その結果、生み出されるのは巨大な輪転式プリンターによるプリントアウトに過ぎないと極言してもイイ。人が介在せずに、オペレーションによってデータを右から左に流すのだから、こうした事態が起こるのは当然の結果と言ってもよかろう。

だが、その結果、我々は多くの犠牲を払ってしまったことを、ここに宣言する。

印刷のメイン・ストリームは、無製版オンデマンドプリントへ移行するだろう。が、このロード・マップが示すのは、最終的な「印刷物の死滅」である。実際、ほとんど虫の息になっているのだ。ほんの20数年前まで、ごく普通に行われていた高度な製版技術も刷版も、人が介入することによって、はじめて成立していたのだ。逆の言い方をすれば、「便利さにもたれかかって、人が思考を停止している」のが現状である。「そんなことはない」と、現在、現場にいる人は不快の念を示すだろうが、アナログ製版時代の職人技は、デジタルでは再現できない。当時の現場を見ていない連中に文句を言われる筋合いはない。あの時、確かに人が人として、モノと正面から対峙していたのだ。

だからと言って悲観することはない。まだまだ印刷にはできることが沢山ある。学び、考え、実践せよ。

その例として、今回のこの作品が生まれた。ボクはデータを丸投げして、アート印刷工芸社さんに全てを委ねた。多少の要望は述べたが、基本的に、ほぼ全てがアート印刷工芸社の現場の皆さんの力によって生み出されたのだ。ボクは種をまいただけである。実際に丹精し、ここまで持っていったのは、全てアート印刷工芸社さんである。ボクはこの難題に誠実に対処して、優れた成果を生みだしてくださったアート印刷工芸社さんに感謝している…(後略)