ホーム         プロジェクトについて
                            「呱呱」とは

第1弾・絵画作品   呱呱 (ここ)
第2弾・写真作品   日本のこころ<時空>その二
第3弾・水彩画作品   伊根の鼓動
Newマーク004.png第4弾・版画作品   桜の記憶

HOME > 日本のこころ<時空>その二:作者のことば

作者のことば

日本のこころ<時空>

亀村 俊二 Kamemura Shunji

確か、愛用していた望遠レンズ・タクマー135mmで撮ったのであろうと思われる。
シャッタースピードや絞りの関係など、どうすればうまく写すことが出来るのか
得意になって私に教えてくれた。
特に感心するのは、この写真のどこが良いのか、またその内面まで切り込んで説いてくれた。
夜になると小さな部屋を暗室がわりに引き伸ばしの技術も教えてくれた。

私は父のペンタックスを持ち出して家の前の畑に実った柿の木を撮った。
それを見よう見まねでキャビネサイズの白黒写真に一枚焼いてみた。
夜遅く仕事から帰って来た父にその「柿の木」の写真を見せた。
写真を観る父の横顔をこわごわ覗き込んでいた私には、ため息とともに父の落胆ぶりが伝わって来た。
少年であった私の心にはっきりと感じ取るものがあった。
これが私がはじめて写真というものに目覚めた瞬間であった。

中学2年の夏休みに、自由研究の宿題が出た。
私は写真をいっぱい散りばめた京都の絵地図を作ることにした。
嵐電に乗って嵐山まで、そこから北へ嵯峨野あたりを一日歩いて写真撮る。
天竜寺、二尊院、落柿舎、祇王寺、念仏寺、大覚寺と嵯峨野の小径を辿って歩くと
多くの由緒ある寺と出合えて楽しいものだった。
それでも三門前の由緒書きを根気よくノートに書き写すのは苦痛だった。
今であれば、記録として写真を一枚撮れば済むのだが、そのころの中学生にっとっては
たとえ一コマのフィルムも貴重なものだった。
ほとんど小遣いの無い私にとっては拝観料を払い、寺の中へ入って写真を撮ることも出来なかった。

大きな模造紙に嵯峨野の絵地図を描き、寺の三門の写真の横には由緒書を、
大沢池や広沢の池、竹林やすすき野原のイラストも添えた「嵯峨野の寺」は他の生徒たちの自由研究
とともに教室の壁に貼り出された。
友達には亀村は写真がうまいと思われ、担任であった歴史の先生にはほめられた。
言うまでもなく、私の教室では、まだ写真を撮る生徒など誰もいなったのだから。
普段それほど成果の上がらない私なのに、
それ以来、周りから私という人物の見方が変わったように感じられた。
ただ父に教わったとおりに写真を撮っただけなのに…!
このことがきっかけとなり、私は写真というものと長く関わることになっていった。

父は11年前に逝ってしまったが、楽しそうに磨いていたペンタックスのブラックボディーは磨きすぎたのか
鈍い真ちゅう色の光沢を放ったカメラとなって、いま棚の上に鎮座している。
私はこんな想いの中で、
今日でも時に古寺を訪れ「日本のこころ<時空>」をテーマに写真を撮り続けている。